ラッセン・ジー・ウンス・ディ・ナハト・ズザーメン・バーブリンゲン

JosefK2006-04-24

と題してみましたが、特に深い意味はありません。

何か暗号みたいですが、

ローリング・ストーンズの初期のヒット曲、

「Let`s spend the night together」

(邦題は、「夜をぶっとばせ」。ストーンズが渡米し、

エド・サリヴァン・ショーに出演した際、このフレーズを「卑猥である」

という理由で変更させられた曲、としても有名な、アレですね)

をドイツ語にしてみただけです。

ちなみに私は、ドイツ語は大学の教養課程で2年ちょい

やっただけであり、それも大昔の話なので、

この訳はまちがっているかもしれません。その際はご容赦ください。

ミック・ジャガーがもしドイツ生まれで、

こんな風にあの曲を歌っていたら、と想像すると、

そこはかとなくおかしい。

(のは俺だけ?)

つーか、字余りですよね。

で、あるいは、ロシア生まれだったら・・・・・

と想像するともっとおかしい、なんとなく。

(あ、旧ソ連の1960年代にはロックはないか)

こんな感じに、単にちょっと言語を置き換えてみただけで、

我々が普段なんの気なしに使っている

「ロック」という言葉が、

いかにあやふやな地盤の上に成立している概念かが良くわかる。

で、わかったからといって、

「だから何なんだよ」

と問い詰められても困るのだが、

「まず言語があって、そこから文化は生まれる」

という基本的な事実を再確認すると共に、

この「あやふやな浮遊感覚」とでもいった物を

味わうのは、個人的には、ちょっと楽しい。

いや、自分も「ロック」は好きなんですよ?

ストーンズも大好きなんですけども、

「ロックっていうのはだなー、おい」

みたいにイキナリ説教かましてくるオールド・タイプ

ストーンズ・ファン(勿論、日本人)に会ったりすると、

ついついこんな言葉遊びにでも走りたくなるのだ。

キース・リチャーズが仮に陽気なイタリア人だったら・・・・

あっはっは、こりゃオカシイ!」

なんて。

(チャオ!とか、ラ・ヴィ〜〜テ〜〜〜!とか叫びながら

ヘロイン打つキースって、やっぱりヘンでしょ?)

で、話はそれるのだが、私が中学生の頃読んだアメリカのSF小説で、

進化を遂げて人間並みに知能が発達した

イルカたちが、

何故か日本文化が大好きであり、

その小説の登場人物(アメリカ人)が即興で詠んだ

「俳句」を聞いて号泣する、というシーンがあった。

で、当時、中学生の若輩の身ながらも、

自分が思った事は、

「おいおい。それ、なんか、違うやろ」

であった。

イルカと、日本文化に精通しているアメリカ人までは

まだ良しとしよう。

しかしその俳句をどうやって英語で詠むのだ?

俳句は、日本語の表音文字の部分を基本的に使い、

5・7・5で作るんだぞ?季語も必要なんだぞ?

(季語がなかったらそりゃ川柳だ)

さらにそれをどうやってイルカ語

(とでもいうべき物が存在するらしいんです、その小説では)

に翻訳するのだ?

仮にまあ、英語だけで詠んでみたとしよう。

でも、「スプリング(春)」は「5文字」なのか、

それとも、

「Spring has come to Michigan 

(ミシガンに春来たり・・・て感じ?)」

とかで「5」と勘定するのか?

で、そのシーンを読んだ時の自分の違和感および感想は、

「このSF書いた人、どうも、”俳句”の何たるかを

まったく知らずに、思いつきを書きなぐって

はるんと違うか?まぁ、それはそれで、

面白いけど・・・・・・・」

何せ、「俳句」が、「日本で生まれた、17文字だけで

構成される、世界最短の詩の形式」

と説明されてたし・・・・・・いやまあ、

あながちそれも間違いじゃないんだが・・・・・。

まあアレですな。

偉そうに、

「ロック云々」

の御講釈を垂れるのは止しといた方が

無難なんじゃないか、とも思ったりする訳です。

60年代からストーンズビートルズ

ドアーズを聴いていたイギリス人やアメリカ人に、

「うぷぷ。あの日本人、何か勘違い、してるわ。わはははは」

なんて、内心、ほくそ笑まれてるかもしれませんからね。ふふ。

(実際、R・O誌なんかに載ってるレッド・ツェッペリン

レディオヘッド論なんかを英語に訳してイギリス人に

読ませたら、意外と大笑いされたりするんじゃないだろうか・・・

・・・・・考えすぎか・・・・・?)

で、今日の画像はストーンズ初期のシングル、

「Heart Of Stone」

私の大変、好きな曲です。

では、

アウフ・ウィダーゼーエン!!