もうとっくに風化した話題ですが、&。

JosefK2006-05-15

60年代から70年代にかけて、

「飢えた子供に対して、文学に何ができるか」

という議論が盛んだった時期がある。

これに関しては様々な意見が百出したが、

後に、筒井康隆氏が見事な卓見を残している。

「飢えた子供に文学など与えれば、たちどころに死ぬ。

むしろ、飢えた子供も殺せない程度の文学でどうする」

かなり物騒な言葉だが、もちろん、氏は飢えた子供を殺すのに文学は

実に有効だ、なんてバカな事を本気で言っているのではない。

要するにアカデミックな芸術全般、

「困っている人々」などに対しては何の役にも立たないし、

そうしたある種の

「うしろ暗さ」を認識した上で、あえて宜しくこれを為すべし、

とのアイロニーだろう。

さて。私が好きなポップ・ミュージックやロックというのも、

本来的にどこかいかがわしくて、

うしろ暗い性質を持った音楽だ。

だが自分はそれで良いと思っている。

退廃的になろうと、愛や平和を訴えようと、

この資本主義社会の中ではすべてが「貨幣」に還元されて

しまう限り、やっぱりどこかが嘘くさく、うすら暗い。

だが個人的には、その「後ろめたさ」こそを大事にしたい。

大衆音楽から「後ろめたさ」が滅菌され、

完全にクリーンになった時、

社会は今より良くなっているかもしれないが、

自分はそんな場所にはあまり住みたくない。

そうして今日も

Freak Out ! ・・・・・かな。

どこまでもクリーンな健全さより、たまには酒を飲んだり

アムステルダム大麻を吸ったりしてヘラヘラ笑って生きていける

世界の方が、自分には心地よい。

画像は一服キメてるデヴィッド・ボウイ

ふ。金持ちめ。うらやましいぞ。