もうとっくに風化した話題ですが、&。
60年代から70年代にかけて、
「飢えた子供に対して、文学に何ができるか」
という議論が盛んだった時期がある。
これに関しては様々な意見が百出したが、
後に、筒井康隆氏が見事な卓見を残している。
「飢えた子供に文学など与えれば、たちどころに死ぬ。
むしろ、飢えた子供も殺せない程度の文学でどうする」
かなり物騒な言葉だが、もちろん、氏は飢えた子供を殺すのに文学は
実に有効だ、なんてバカな事を本気で言っているのではない。
要するにアカデミックな芸術全般、
「困っている人々」などに対しては何の役にも立たないし、
そうしたある種の
「うしろ暗さ」を認識した上で、あえて宜しくこれを為すべし、
とのアイロニーだろう。
さて。私が好きなポップ・ミュージックやロックというのも、
本来的にどこかいかがわしくて、
うしろ暗い性質を持った音楽だ。
だが自分はそれで良いと思っている。
退廃的になろうと、愛や平和を訴えようと、
この資本主義社会の中ではすべてが「貨幣」に還元されて
しまう限り、やっぱりどこかが嘘くさく、うすら暗い。
だが個人的には、その「後ろめたさ」こそを大事にしたい。
大衆音楽から「後ろめたさ」が滅菌され、
完全にクリーンになった時、
社会は今より良くなっているかもしれないが、
自分はそんな場所にはあまり住みたくない。
そうして今日も
Freak Out ! ・・・・・かな。
どこまでもクリーンな健全さより、たまには酒を飲んだり
アムステルダムで大麻を吸ったりしてヘラヘラ笑って生きていける
世界の方が、自分には心地よい。
画像は一服キメてるデヴィッド・ボウイ。
ふ。金持ちめ。うらやましいぞ。